UPって、どうやってできたのですか?
Episode 1 <着想を構想に>
個人の思いからプロジェクトへ
2000 Winter

 UPが最初に一人の男の頭に中に、おぼろげに浮かんだのは1990年代後半のことだ。当時、神奈川県川崎市から埼玉県熊谷市に遠距離通勤していた加藤茂は、その長い通勤時間が無駄に思えて仕方がなかったのだという。
「音楽を聴くだけでは間が持たない。新聞や雑誌を読むのも、何か違うと思っていました」(加藤)加藤の頭の中には、すでに“一台で映像と音楽を一緒に楽しめるモバイル機器”というおぼろげなイメージができあがっていた。

2000年プロジェクト

20世紀が終わりを向かえようとしていた頃、ニコン社内では“2000年プロジェクト”という企画が存在した。21世紀に向けて、将来の市場を担う新しい民生機器のアイデアを募る公募企画だった。2000年12月、加藤は、ここに自分のアイデアを応募した。当時の企画名称は“ETD(Eye Top Display)”。その頃からすでに、「片方の目で見る」「ハンズフリー」という現在のUPにつながる特徴は明確だった。
「モバイル機器を電車の中で使いたい。しかし、つり革も持たなければいけないし、鞄もある。だったらハンズフリーは当然。また、両目を塞いでしまうと屋内でしか使えなくなってしまう。だから、基本は単眼で見るスタイルを考えていました。」(加藤)

アイデアから製品化プロジェクトへ

“2000年プロジェクト”そのものは、次世代のニコンを支えるアイデアを集めることが目的であり、製品化を前提とした企画ではなかった。企画の応募と発表をもって“2000年プロジェクト”は解散した。しかし、加藤はそこでおさまらなかった。ぜひ製品化したいという強い思いが募るばかりだった。
「それまで、ニコンはAVプレーヤーを手掛けたことはない。しかし、カメラや眼鏡などの分野で顔まわりの製品についてのノウハウは蓄積されている。それにETDで必須となるだろう光学系は、世界でトップクラスの技術と実績がある。ETDが出来るはずだと思いました。同時に、きっと時代がそういうものを求めているという確信のようなものがありました」(加藤)
加藤は、“2000年プロジェクト”を主催した事業開発センターの許可を得て、関連特許の調査など製品化の可能性を具体的に探り始めた。とはいえ、当然、現職場の仕事もある。通勤の新幹線の中や休日に特許書類を読みながら製品化の可能性を探っていった。

2002年2月、ついにそのときが訪れる。加藤は改めて報告書を提出、正式に開発テーマとしての承認を取り付けたのだ。加藤は事業開発部に異動し、以後、このプロジェクトを動かしていくことになる。

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